機能不全家族で育ったわたし 

機能不全家族の中で育ちました。子供の頃の記憶はぼんやりしていますが、毎日地獄だと感じていました。幼少期の自分の感情から逃げ続けている限り、この苦しさは一生続くのだろうと思い、子供の頃の自分の感情と向き合うためにブログを書くことにしました。

現在のこと ぜんぜん向き合えてない1

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昨日ブログに

 

子供の頃の本当の感情と向き合うって難しい。

もっとらくに受け入れられればいいのに・・・。

 

って書いたけれど、「向き合うって難しい」ってまだ何も向き合ってもいないじゃんと、自分に突っ込みたくなってしまいました。

 

子供のころのことを表面的になぞって、思い出しているだけで、向き合っていない。

どこかひとごとで、遠くから眺めているみたい・・・。

小さなころの自分の感情と向き合うってもっとがっつりその当時の

感情を感じて、「辛かったね」って・・・言ってあげられなくても

せめて当時の感情を否定しないことが出来るといいと思う。

きちんと感じることが大切と思っているのに・・・。

でも私は感じることから逃げてしまっている。

だって本当は「あなたに辛いと感じる資格なんてない!」と思っている。

頭では資格なんて必要ないってわかっていても・・・

 

IDをmushishitegomenneにしたのですが、それはそんなようなブログのタイトルにしようかなと思っていたからなのです。

何か小さい頃の自分の気持ちを無視して悪かったなーって一時思えることが出来て。

その時はそんな気分だったのですが、その一時を過ぎたらとてもそう思えませんでした。

無視してごめんねなんて思えない。本当は無視されて当たり前だと思っているし、自分が嫌いで憎くて仕方ないのだと思う。

1番はじめに自傷行為をした自分に憎しみを向けた自分が、あの時からずっと自分の中にいるのだと思う。

 

mushishitegomenne.hatenablog.com

 

このまま感情に蓋をしたまま、いやなことは見ないで生きられたらどんなに良いだろうと思うけれど、それだと苦しみが消えない。

 

20代半ばころまでは自分を責める言葉を心の中で当たり前のように言っていたけれど、

それは良くないことと知ってからは、意識してやめるようにした。

それから、心の中はポジティブな言葉ばかりになった・・・

でも30代でそれも良くないことなのだと知って、それもやめた。

自分が感じることをそのままジャッジしないで感じるように努めた。

でもためしに、「おまえなんかしねばいいのに」など、子供の頃自分に言っていた言葉を自分にかけるとすごくすっきりして、気持ちがどうしようもないときには最近は言ってしまってる。

でもそれでもいいよって思うようにする。それが自分なんだものねと思う。

 

精神的にあまりにも未熟なのは自分の感情をずっと無視してきたから。

もっと早く気付きたかった。

感情というものは、逃げて逃げて逃げて逃げて、それでも逃げられなかったものを

仕方なく感じるものだと思っていました。

 

今は逃げすぎて、自分から向かっていかないと自分の感じているこれは何なのかが分からなくなってしまいました。

 

子供のころ神様にたくさんお願いしました。

「神様何も感じなくさせて下さい」って。

本当に強く強く強く何度も何度も何度も願った。

感情を感じなくなったわけではないけれど、自分が感じているものが何かわからなくなってしまったから、子供のころ願った事がきちんと叶ったのだなと思う・・・。