機能不全家族で育ったわたし 

機能不全家族の中で育ちました。子供の頃の記憶はぼんやりしていますが、毎日地獄だと感じていました。幼少期の自分の感情から逃げ続けている限り、この苦しさは一生続くのだろうと思い、子供の頃の自分の感情と向き合うためにブログを書くことにしました。

自分を憎む自分

先日受けた心理セッションの話です。

 

私は人から憎まれたり恨まれたりすることがとても怖いです。

それってどうしてかなと思うと自分が自分を憎んでいるからだと思ってきました。

私が今ここにいてもいいって思うためには全世界の人に「いいよ」って言ってもらう必要があると感じていて、やっぱりそれは私が自分の事を憎んでいるから、それに打ち勝つためには全世界の人が肯定してくれるくらいのパワーが必要なのだと思っていました。

 

自傷行為だってそうで今20代の頃を最後に今はしていませんが、していたころは、自傷行為をしたい(しなければならない?)自分と痛いのや苦しいのは嫌な自分がいて、いやがる自分を抑え込んで無理やりやるような感じなので、自傷行為にも大きなパワーが必要でした。

なので、自殺を考えるとなると、自分を殺したい自分と、やっぱり痛いのや苦しいのは嫌で死に恐怖を感じる自分を殺さないといけない。

自傷行為のときよりももっとずっと大きなパワーで自分を抑え込まなければいけないと思うととても出来ないだろうと思います。

 

前置きが長くなりましたが、その自分を憎んでいる自分とずっと話がしたいと思っていました。その自分の辛さを聞いて私が解ってあげられたなら、自分を憎んでいる自分は憎むのをやめてくれると思ったから。

解離性同一性障害ではありません。感覚的な話です。)

それで先日心理セッションを受けた時にこの自分に、「私に何を伝えたいのですか?」などセラピストさんの誘導でいろいろ質問しました。

質問をしていると最初睨んでいた目つきが少しやわらかくなりましたが、特に何も答えてもらえず、またセラピストさんの誘導で、その人に少し入るような感じでその人側から私を見ました。(説明が下手過ぎるかもしれません・・・。)

そうしたら、その自分の考えがわかりました。その人が私を憎まないと痛めつけないと私は自分を保てないから、その人が悪役を引き受けていてくれていたのでした。

 

以前、下記の記事で、はじめて自傷行為をした自分がずっと私のためにやってくれていたようでした。

子供の頃の記憶 はじめての自傷行為 - 機能不全家族で育ったわたし

私はこの時に生まれたもう一人の、自分を憎む自分は、本当に母と同一化して本気で自分を憎んでいるのかと思ってきました。

また、苦しい自分を認めなかった大したことないとずっとなかったことにして、苦しいと言っている自分を責め続けて来た自分を憎んでいるのだろうとも思ってきました。

でも違って私のために私を憎んでいるのでした。私がぎりぎりのところで自分を保っていられるようにはじめての自傷行為のときに生まれてから今でもそれをずっと続けていてくれたのでした。

知らなかったから、ありがとうとは言えないなとそのときはとっさに思ったけれど、必死にやってきてくれたのだなと思うと今はありがとうという気分です。

もう今は自分を憎んでいる必要はないけれど。

私の味方だったんだなと涙が止まりませんでした。