機能不全家族で育ったわたし 

機能不全家族の中で育ちました。子供の頃の記憶はぼんやりしていますが、毎日地獄だと感じていました。幼少期の自分の感情から逃げ続けている限り、この苦しさは一生続くのだろうと思い、子供の頃の自分の感情と向き合うためにブログを書くことにしました。

苦しみの原因

f:id:mushishitegomenne:20180713225722j:plain

今の私はどうして苦しいのか考えてみようと思いました。

 

一番は自己肯定感が皆無なこと。自己否定感(と言う言葉があるかわからないけれど)はたくさんあるけれど。

 

小学生のころ、明るく元気でみんなから愛される人になりたいと思っていました。

でもなれなかった。がんばろうとしても気分の落ち込みがひどくていつも元気でなんていられないし、世の中(学校など)で起きていることが訳がわからず、いつも怖かった。

幼少期から癇癪を起こしたり自分の感情を持て余してどうして良いかわかりませんでした。

 

よくいい子でいるのが辛いっていう子がいたけれど、辛くてもいい子になれてうらやましかった。私はどんなに望んでもいい子になれなかった。

 

それってどうしてかなとずっと思ってきたのですが、もしかしたら、私がいい子でいることを母親から望まれていると感じていなかったからかもしれない。

幼少期、母にとって都合の良い私は、誰とも仲良くせず、母を恐れ、大人しくサンドバックになることだったかと思う。

「勉強しなさい」なんて記憶にある限り言われたことはないし、私の成績など母の興味の対象ではなかった。私のすべてがだけれど。母が私を見る時は母の中にある怒りや憎しみのすべてを私に向ける時くらいだった。

 

苦しみの原因に戻ると、私が自分の全部を手放してしまったことだと思う。

私が母と一緒になり、自分を憎むことを決めてしまったからかと思う。

(何か同じことばかり書いている気がする・・・(-_-;))

 

いつも心の中すら自由じゃなかった。だから日記もかけなかった。自分の本当の気持ちなんて、どこにも出せなかったし。私もわからなかったと思う。

 

だれかと出かけたりすると、相手が楽しんでいるのを見て私も楽しいと思う。

相手が楽しそうにしていないと全然楽しくない。

勝手にそうなる感覚。何かに引きずられるように。

自分が食事をおいしいと思っても相手がおいしそうではないと私の食事もおいしくない気がしてくる。でも最近はそういうことは減ってきたかな。

 

セッションを8月の下旬に受けるつもりでしたが、3連休の中で受けてくることにしました。少しでも良い方向へ向かうきっかけになるといいなと思います。

少しでも幼少期の感情や感覚を感じられるようにがんばってこようと思います。

子供の頃のこと 盗ってない

f:id:mushishitegomenne:20180709170750j:plain

小学校高学年ころのことだと思います。

 

キッチン収納のところに母が1000円を置いていたそうで、それがなくなっていたみたいで、それを母は私が盗ったと決めつけ、昼食中か夕食中か忘れましたが、いつものようにマシンガンで責めたてられました。

 

それまでは怒る理由に一応事実が少なからず入っていたのです。

私が転んだとか、片付けをしないとか、弟とケンカをしたとか、ドアを閉めていないとか、風邪をひいたとか、声が小さいとか、母に何か言われるとすぐ泣くとか、もうあまり思い出せないけれど、とにかく何かしら事実が・・・

でも、この件については盗っていないし、それまでも盗ったことなんてなくて、あの時はさすがに大きなショックを受けました。

とうとうこの人はここまで来たのか・・・と思いました。

 

母が食事をしながら、マシンガンで私を責め続けている中、同じ食卓では何事もおきていないような顔で父と弟が普通に食事をしていました。

私一人惨めな気持ちで母の言葉を聞いているしかありませんでした。

さすがに盗っていないと一度は反論したように思いますが、もちろんそんな言葉が母の耳に届くわけもなく・・・いつもなすすべはありませんでした。

ただ終わるのを身じろぎもせず絶望の中待つだけでした。

 

母から、幼少期から10代後半まで毎日毎日言い続けられた言葉の数々があるはずなのですが、怒っている理由は違ってもいつも同じ言葉で罵られていたと思うので・・・それが思い出せれば、私が幼少期具体的に何をどういう風に思い込んだのかとか、どんな感情を封じ込めているのかのヒントになるかと思い、思い出そうとするのですが、どうしても思い出せません。

2つだけ覚えていて「何その目は!!」という感じの言葉と「(叩いている)お母さんの手の方が痛い」という感じの言葉です。

あとはすっかり抜けてしまって、10代の頃までは正確にはっきりと覚えていたような気がするのですが・・・

ずいぶん前に同じ理由で、弟に尋ねたことがありますが、弟ももう覚えていないと言っていました。

その話をしたくなかっただけかもしれませんが・・・。

 

幼少期はあんなに何も感じたくない、忘れたいと願ったことですが、今は真逆のことを必要と感じていて、本当にもどかしいです。

 

何だか文章にすると大したことないように感じて、でも子供の頃の私は充分傷付いて、でも今の私は傷付いたって思う事はいけないことのような、くだらないって思ってしまうような気持を感じてしまう。

私が子供の頃感じた感情を肯定していいのか、自分で決められないのです。

そしてそんな私をどうしようもないなと思う。

ループです。早く抜け出さなければと思うのですが・・・

せめて今のそんなどうしようもない状態の自分をそれでもいいよと思うように努めようと思う。

強迫性障害と罪悪感3

f:id:mushishitegomenne:20180704230037j:plain

今日気付いたことがありました。

先日、強迫性障害と罪悪感2 - 機能不全家族で育ったわたし

の中で書いた幼いころの強迫観念の一つですが、今日まだやっていることに気付きました。

 

最近職場で観葉植物が枯れかけているのが気になっていたのですが、何が良くないかわからず土を替えた方が良いのかなと思っていたところ、今日社長が自宅に持ち帰ってお世話してくださるということだったので、安心して会社を出ようとするときに、その観葉植物が目に入っていたのですが、私は息を止めていたのです。完全に息を止めていたというよりはとにかく息がかからないように(イメージの中でです。息のかかる距離ではないですので)していました。あ、わからない。逆かも。私が息を吸わないようにしていたのかな・・・両方かもしれません。それくらいわからないくらい巧妙に行われていました。

 

それに気付いたら日常的に普通にまだ行われていたのかもと思いました。

 

私、このこと知っていたはずなのですが、わからないようにしていたというか、一瞬で忘れるようになっているというか、自分にわからないように、うまく強迫行動を行っているというか・・・。

 

私、あまり自分が精神病だと思ったことがないのですが、というか思えなくて。思えたなら少し楽になれるのですが、楽になってはいけないという気持ちが働くのか・・・思えなくて。ですが困った症状のようなものは過去にたくさんあって、今は少なくなり強迫観念と離人感を自覚しています。でもそれは自分が悪いからとか弱いからとかおかしいからなっているだけで、病気という認識があまり持てないでいます。

 

でも私の人生強迫観念でこんなにしめられていて、これがほんとうに治るのだったら、すごいことで、ただ手放した自分が今は想像できません。

 

幼少期に自分が息を吐くとその先にいる人が病気になったり死んでしまうかもしれないと不安になってしまうということは、私自体がすごく悪いもので出来ているという思い込みみたいなことからはじまったのだと思うのですが、どうしてそこまで思ってしまったのだろう。

ああ、これ深く考えると怖くなってしまう。

 

20代後半まで自分はごみで私以外の人は全知全能の神様の様なすごい人という認知の歪みがありました。

本当にそのように世界が見えていました。

 

今は自分の事をごみなんて思わないようにしているけれど、思考ではそうしていても感覚ではその頃のままなのかもしれません。

 

ブログを書いていて、本当になんとかしなければと思い、感情を感じ切るというのを一人ではどうしても出来ないので、セッションを8月後半に予約しました。

地獄のエピソードと、この呼吸に関する強迫観念のどちらかを扱っていただくか迷っていますが、どうにか子供の頃のその時の感情を感じ切ってきたいと思います。一度では無理かもしれないけれど・・・。