機能不全家族で育ったわたし 

機能不全家族の中で育ちました。子供の頃の記憶はぼんやりしていますが、毎日地獄だと感じていました。幼少期の自分の感情から逃げ続けている限り、この苦しさは一生続くのだろうと思い、子供の頃の自分の感情と向き合うためにブログを書くことにしました。

強迫性障害と罪悪感3

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今日気付いたことがありました。

先日、強迫性障害と罪悪感2 - 機能不全家族で育ったわたし

の中で書いた幼いころの強迫観念の一つですが、今日まだやっていることに気付きました。

 

最近職場で観葉植物が枯れかけているのが気になっていたのですが、何が良くないかわからず土を替えた方が良いのかなと思っていたところ、今日社長が自宅に持ち帰ってお世話してくださるということだったので、安心して会社を出ようとするときに、その観葉植物が目に入っていたのですが、私は息を止めていたのです。完全に息を止めていたというよりはとにかく息がかからないように(イメージの中でです。息のかかる距離ではないですので)していました。あ、わからない。逆かも。私が息を吸わないようにしていたのかな・・・両方かもしれません。それくらいわからないくらい巧妙に行われていました。

 

それに気付いたら日常的に普通にまだ行われていたのかもと思いました。

 

私、このこと知っていたはずなのですが、わからないようにしていたというか、一瞬で忘れるようになっているというか、自分にわからないように、うまく強迫行動を行っているというか・・・。

 

私、あまり自分が精神病だと思ったことがないのですが、というか思えなくて。思えたなら少し楽になれるのですが、楽になってはいけないという気持ちが働くのか・・・思えなくて。ですが困った症状のようなものは過去にたくさんあって、今は少なくなり強迫観念と離人感を自覚しています。でもそれは自分が悪いからとか弱いからとかおかしいからなっているだけで、病気という認識があまり持てないでいます。

 

でも私の人生強迫観念でこんなにしめられていて、これがほんとうに治るのだったら、すごいことで、ただ手放した自分が今は想像できません。

 

幼少期に自分が息を吐くとその先にいる人が病気になったり死んでしまうかもしれないと不安になってしまうということは、私自体がすごく悪いもので出来ているという思い込みみたいなことからはじまったのだと思うのですが、どうしてそこまで思ってしまったのだろう。

ああ、これ深く考えると怖くなってしまう。

 

20代後半まで自分はごみで私以外の人は全知全能の神様の様なすごい人という認知の歪みがありました。

本当にそのように世界が見えていました。

 

今は自分の事をごみなんて思わないようにしているけれど、思考ではそうしていても感覚ではその頃のままなのかもしれません。

 

ブログを書いていて、本当になんとかしなければと思い、感情を感じ切るというのを一人ではどうしても出来ないので、セッションを8月後半に予約しました。

地獄のエピソードと、この呼吸に関する強迫観念のどちらかを扱っていただくか迷っていますが、どうにか子供の頃のその時の感情を感じ切ってきたいと思います。一度では無理かもしれないけれど・・・。