機能不全家族で育ったわたし 

機能不全家族の中で育ちました。子供の頃の記憶はぼんやりしていますが、毎日地獄だと感じていました。幼少期の自分の感情から逃げ続けている限り、この苦しさは一生続くのだろうと思い、子供の頃の自分の感情と向き合うためにブログを書くことにしました。

強迫性障害と罪悪感2

 昨日の続きです。

強迫性障害と罪悪感1 - 機能不全家族で育ったわたし

 

覚えている中で1番初めに感じた大きな罪悪感は、

私は幼い頃母は地獄に落ちると思い込んでいました。けれど、母は弱くて耐えられないので、私が替わってあげないといけない。

でも私もすごく怖い。実際に閻魔様の前に行ったら、逃げてしまうかもしれない。助けられなかったらどうしよう。自分が逃げてしまったらどうしよう。といざ閻魔様の前に行った時逃げてしまって母と替わることができなかったら・・・ということに対してとても大きな罪悪感を感じていました。

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私のその頃の地獄のイメージは血の池とか針の山で(今でも地獄のイメージはそう変わりませんが・・・)何回死んでも生き返り永久に苦しみ続ける・・・いつ終わるかわからない苦しみです。その恐怖や痛みに自分が耐えられるかわからないと幼い頃の私は感じていました。

 

いつもダイニングで母の背中を遠くから(実際には狭いのでそんなに遠くないはずですが、すごく遠く感じていました)見て、このことが頭のすべてを占めていました。

あとは家の階段にうずくまり、このことともう一つ当時の自分にはどうしようもないことがあったのですが、そのことについて考えてというよりは、ただひたすらどうしようどうしようと感じていたように思います。

 

だから、私にとって罪悪感というのは感じて当たり前なのかもしれません。

何だかこう考えると、機能不全家族で育ってそれは不運だったけれど、一番自分を追いつめてきたのは自分でした。

一番自分が自分を苛め抜いて、自分を不安でいっぱいにして、恐怖にいつも追われて、全部自分でやってきました。

 

自分を許して受け入れる覚悟が出来ません。自分を生きる覚悟が出来ない。いつまでこうしているつもりなんだろう。

ただ自分が決めればいいだけなのに、それがいつまでも私には出来ない。

 

いつものことですが、とりとめなくなってきてしまったので、この辺で終わりにしておきます。